sagami-no-memo

22.tue
仕事仕事。Macbookのキーボードの調子が悪い。deleteキーとspaceキーとtabキーが殆ど反応しない。何度打っても素無視。仕事には致命的だ。一応、昔のimacのキーボードとマウスで対応してるけどもトラックパッドの2本指スクロールが使えないのでとてもストレスが溜まる。夏が終わるまでに新型iMacを買おう。24型の一番スゲエやつを。
小梅が夏バテで溶けかけているが、夜になるとキーボード用のブラシをくわえては放り投げくわえては放り投げ。ガラス戸にバンバンぶつけるので割れやしないか心配だ。
疲れて書く事もままならない。眠る。あ、iPhoneスゴくメール打ちづらい。


10.thu
眼鏡を買った。NICOLEのヴィンテージ。3年近くかけてた眼鏡はフレームが小さいためパソコンに向かってると眼とか首とかがちょっと疲れるので今度はデカめのを買った。眼鏡は楽しい。OBJにて購入したのだけど、最近はデカめのフレームが結構置いてあったりして、上だけセルで下がワイヤーの昔のおじさんがかけてそうなクラシックな眼鏡も多くあったが、高い。フレームで3万とか4万とかする。商店街とかの眼鏡屋(時計の修理とかもやってたりする様な)とかの方が安くて種類も豊富で良い。たまに覗いてみたりするが面白い。そういや、森下駅付近にそんな感じの良い眼鏡屋があったのを思い出した。
こないだMの長期の仕事が終わったのでラーメン屋に行った。ラーメンというものをあまりというか、殆ど食べないのだけど、最近「ろおじ」というつけ麺屋さんによく行く。全粒粉の麺に濃いめの魚介系のスープ。とてもおいしい。選択肢の少ない我々は外食といえば、お好み焼きなら「しみちゃん」、蕎麦なら「蕎麦切塩釜」、でラーメンなら「ろおじ」だ。炭酸といえばペプシNEXで、アイスといえばパルムだ。そんな夏だ。セールに行きたい。
未だに鳴り続けているチャイムは、もはや風鈴に迫る勢いで夏を感じさせてくれている。夜中、遠くから聞こえる学校のチャイムはなかなか良いものです。


8.mon

白井さんの公演記録も無事終わり、みなみ会館の裏側やら、映画上映中(その日は小池栄子主演の映画『接吻』だった)の映写室やらを覗かせてもらい、色々楽しい経験をした。急な仕事に駆けつけてくれた遠藤、後片付けを手伝ってもらった同居人Mにも感謝。今回の作品の具体的感想とは少しずれた所で、舞台で映像を流すという事について少し考えた。それは、「映画館」という「映画」を観る場で舞台表現(今回の場合は生身の身体と言った方がよいかもしれないが)を観るという体験から起きる距離のズレだ。
その体験のズレで顕著に感じたのは「舞台の後は拍手したい」という事だ。この拍手したいとは何事かというと「自身で了解した虚構からの解除」だ。つまり自分でかけた催眠を解くような事としての観客の身体的欲求と言っても良いかもしれない。映画の場合それは少ない。どこかの映画祭とかじゃ無い限りなかなか拍手をするという事が当然。とはなりにくい。それはどういう事か。
おそらくはフレーミングの違いにあると考えられる。舞台表現の場合、そこで行われている劇の進行はある虚構性を纏いながらも、始まる前も後も現実的時間から乖離できぬ同時間軸にある事を誰しもが理解している。つまりその時間を虚構の時間であると了解する為の構えが必要となる。では逆に「映画(映像表現)」の場合はどうか。映画の中で物語が展開される。そこである時間が流れるが、その時間の流れは静止画の連続による「錯覚」の時間だ。そして現実的時間とは乖離された始まりと終わりがある。映画は白いスクリーンにもどる。錯覚の終わり。つまり消えるのだ。
フレーミングの違いとは始まりから終わりの時間的、空間的な切り取り方であり、そのフレーミングされたその切れ目の先に現実的時間が地続きに繋がっているか否かの違いである。舞台を観るということは「立ち会う」という時間的体感を伴うものだが、映画は必ずしもそうではない。それは始まりがあり、終わりがあるものであるし、その虚構は自身の視覚的錯覚によって流れる個的な(あるいは物事を思い出すかの様な内的な)時間であるからである。そういった特性をもった映画を上映する場である「映画館」という空間ではあるが、そこに身体を観にきた観客は「立ち会う準備」をしてその空間に入り、その時間を身体、映像、空間すべてを共有する。確固たる時間として。故に「拍手をしたくなる」のだ。
消えるものとしてある映画の虚構性と確固たる現実としてある舞台の虚構性。その前者が前提とされた空間の中にいかにして身体を置くかという事に対して、後者を前提として「立ち会い」に来てしまった観客は作品との距離が作り手側と圧倒的にズレる。そのズレをいかに解消させるか。舞台上で映像を使うとき、あるいは舞台上で流されるという前提で映像を撮る(作る)とき、「立ち会う」という事をいかにとらえるか。そこが問題だ。人ごとでなく、自分自身の次の作品にも絡んでくる事柄なのでまだまだ考える事が沢山ありそうだ。———つづく。

ところで今、悩んでいます。
というのも、撮影用にminiDVテープを買いにいく為に京都駅のビックカメラに立寄り、ついでにフンフンとデジカメコーナーを覗き見てるうちに物欲がむくむくと起き出し、コンパクトデジカメが欲しくてたまらなくなっている。デジタル1眼しか持ってないため持ち歩くのがおっくうで、ささっと連れて歩けるコンパクトが以前から欲しかったのだけども、買うか買わないかで悩んでいるというよりもR8GR-DIGITALで悩んでいる。フィルムのコンパクトでGR-1vを持っていて、GR-DIGITALが出た時には「俺、買うなら絶対これかう!」と思ったのだけども、R8が発売されて、女子感0のチープな無骨さに「やべえよコレ」となったのである。価格なら3万を切るR8、画質ならGR-DIGITAL、ビジュアルなら・・・ん〜悩む。とりあえず今の所、ささーっと何のこだわりも無く撮る予定なのでR8に軍配が上がっています。でもなあ。GR・・・。悩む。ライカのC-LUX2も・・・。

すぐ近所に知的障害のある人の為の社会就労支援センター(学校の様なとこ)があるのだけど、そこのチャイムが壊れているのか夜中に「キーンコーンカーンコーンコーンコーンコーンコーン・・・」と15分おきくらいでリフレインしている。その音に気づいてもう4日目くらいになる。スゴい不気味なんだけど、夏のせいか、すこしワクワクする。ゲームの『SIREN』みたいで。夏の旅行で出かけた見知らぬ村の奇妙な掟、そこで起こる恐怖体験・・・といった類いの話がとても好きです。
M・ナイト・シャマランの新作、面白そうすね。


4.fri
木曜朝から21時くらいまでノンストップでマレビトの会websiteのリニューアルに向けて作業。大幅にというよりも完全に作り直す為、最初の打ち合わせから3ヶ月。随分と時間がかかった。
最終の校正にくじけそうになった為、AM3:00時からH氏の事務所で徹夜作業。本日4日AM9:00、リニューアルサイト公開に至ったのだった。8時くらいに何度か意識が飛び、一つのファイルを選択するのに15分もかかってしまった。最後まで付き合ってくれたH氏も最終チェック中、何も無い空白を何度もクリックしていた。
チェックも終わり、まだ工事中の部分もあるが無事公開。「おちかれさまててす」と事務所を後にし、12時頃バタンキューと小梅を揉む暇も無く、
16時頃まで眠ってしまった。
起きて、メールをチェックし、別仕事のデザインの経過を報告し、DICTEEのチラシの印刷候補の紙を見せに大学へ。途中、K極君にたまたま会う。打ち合わせ後に、I崎さん、K学君、M間君ともたまたま会い、少し話をして帰宅。
晩飯後、『ケモノヅメ』をDVDで観、明日の白井作品の撮影の為、遠藤と久々に会う。
久々に会う遠藤はGIANTの金色のマウンテンバイクに乗っていた。そうそう、DICTEEには遠藤も映像で参加してます。


1.tue
さてさて、6月も終わり、7月。思えば小梅が家に来たのが8月。もう1年近くたつ。ああ早い。また、気づくと「日記を書き始めて1年が経った。三日坊主の俺もやりゃあできる」とか書いているはずだ。書いてないかもしれない。日記すらも。
そういや先月、6月29日は同居人Mの誕生日であった。なので、前日の28日にMの実家に帰り、牛の肉を焼いて甘いタレにつけて食う「焼き肉」というものをM一家と食べにいき、パティシエをしているMの妹の店の「ケーキ」というものを食する。どうやら日本には誕生日の際にケーキに年齢分の蝋燭を立て、誕生日の人がその蝋燭に息を吹きかけて消し、祝うという風習があるらしく、それをしてみんなで祝った。おいしいものをごちそうになって恐縮する。小梅も人生2度目の遠出でM家にて一緒に祝った。前回の遠出もM家だったため思いのほか早く慣れ、家中をうろうろかぎまわっていた。
グラフィックが仕事となり始めたのが大学2回生の夏頃、そこから計算しておおよそ4年くらいグラフィックの仕事を続けているが、まったく知識なくきっかけだけが訪れ、実作業で勝手に覚えていった今のやり方だけども、最近ようやく「学びたい」という欲が出て来た。「なんとなく」の感覚はいつか擦り切れる。制作にロジックは必要なのかどうかは今はわからないけども、すくなくともデザインの基本的なロジックはそろそろ知ってもいいんじゃないかなと思ってもいる。
ロジックに逃げなけりゃ良い。それだけだ。